遠藤周作の日本人の宗教観

5年かけて書いたのでぜひ読んでと書かれていたので借りてきました。
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読みながら、今の日本に吹き荒れている働き方改革というスローガンがちらつきました。先祖代々の土地にもどれるかも、なんて匂わせて、航海の途中で消えちゃってもいいような人材派遣をする。うまくいけば仙台藩の丸儲け。間に入った宣教師もうまくいけば日本まるっと改宗させる野心がある設定で、ギラギラしてるのはこの宣教師だけ。中間管理職のお代官はいい人ぶっているけれど、私には責任がないんですよ、ってほんと偽善者です。当の支倉くんにも志があるわけじゃない。言われて素直に黙ってしかたねぇなって、家族人質じゃぁなって、命がけの航海に出る。あげくには法律が変わったんで、とばっさりです。、、あんまりだ。
このギラギラしたパードレが言う日本人像が印象的でした。
「自分のご利益のためだけに神に祈る人種(が多い)」
精神的に未熟であるっていうんです。そうなの?
では、カトリックやキリスト教徒はそうじゃないの?
ユダヤ教とか選民思想ですよね?ユダヤ人に金持ちが多いのは同族以外の人種にカネを貸すときは高利貸しにしなけりゃいけないって教えがあるんだよね。だから西洋の思想の方が精神的に上だとかってそれは一概に言えないですね。でも、日本人は確かに生活や思想に宗教が常に介入しているわけではない。
むかしは「天知る地知る己知る」といって戒めてきた、恥じ入る概念が今日本人にはないですね。自分を律するとか自己嫌悪とか聞かなくなった。自画自賛とか自己責任とか自己満足とか、自分を俯瞰で見ようとする謙虚な姿勢がない。年寄りじみてきた、やめとこう。


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# by mgal2o4 | 2018-01-27 08:11 | 小説

ジュリアン・グリーン 

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グリーンさんですがジュリアンです。
人間は罪深くて悲しいけれど、ラストは衝撃的なんだけど、、
本当に十字架を背負ってしまって、でも救われたといえるのかな?みたいな印象でした。
変な文ですが。
いろんな差別?が書かれてるんです、マイノリティに対して、髪の色とか、肌の色、アジア人、アフリカ人とか、、。
選民思想、、うーん、、。
あと、
旧約聖書の話ってちょっと残酷じゃないですか。教義によっては戒律のようでしょ、人間を罰するし、で、そういうものでがんじがらめになって育つ無垢な人間は別にキリスト教の信者とかでなくてもいつの時代どこの国にもいると思います。
そういう無垢な人間には、宗教は残酷だと思います。
実際に罪を犯してしまったら、当たり前に、悔い改める。
物語は悲劇なんだけれど、ひとすじの光が差している、最初はそんな読後感でした。

主人公はむしろ、そのことがあるまえまでが地獄の中にいて、この人は実は堕天使かな?こっちは預言者かな?という、、
「モイラ」は、ギリシャ語で運命の女神三柱の一柱を意味する、、この本を訳した福永武彦氏は先に新潮社版で「運命」というタイトルで出されているのですが、本作品の中の、うーん、不思議な役割の女性の名前なんです。
そこまではないけれど私も確かに、言わなくてもいいことを言ってしまう、言ってしまったと後悔する、かんがえすぎる、落ち込み過ぎる、笑われてないかと悔やむ、誰だってコンプレックスは持っているのに、自分の中だけで悩んでしまっている、答えを求めすぎるという、なんというか、時々思い出したくもない馬鹿なことやったなーってことたくさんある。
そしてだんだんと、なんというか、
自分の足でしっかり立って歩いて行けよ!という、なんだか怒りがこみ上げてくるというか、宗教を言い訳にするな!という気持ちにもなってくる、2つの感想を持つ本です。

キリストも、ブッダも、ムハンマドもきっとそう言っていると思いませんか、人間よ、我を言い訳に戦争するな、己の足で己を導けって。

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# by mgal2o4 | 2018-01-19 22:01 | 小説

グレアム・グリーン その1

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ウィキペディアなどで見ると、狐狸庵先生は彼の作品から「沈黙」の着想を得た、とあります。それはともかく、
私はそれを知るまで、この作品を読んだ時に夏目漱石の「こころ」とか「行人」に似ているなぁって。登場人物の心理状態を、情景描写したり、主人公がとことん堅物というかコンプレックスの塊、自己愛が強すぎる、エゴですよ、夏目漱石じゃんって。ひょっとしたら、漱石の英訳読んでたんじゃないのって思ったくらいです、今読んでいる「モイラ」(また読み終わったら載せます)にいたっては。
キリスト教の世界観がわからないと楽しめない、というのは、海外の文学のみならず、映画演劇全てに言えることですね、聖書とマザーグースですね。
これをまず読んでから読まないと、セリフの意味がチンプンカンプンになりますし、理解できないところも生じてしまいます。
神になろうと神に近づきすぎ、落っこちてしまったイカロス(近づいた神様が違うか!)や堕落してしまったサタンをそれでも神は愛したのだろうか?
愛情は同情から生まれるのかな、同情って自分が優越感にちょっとでも浸れるものだよね、それって本当の愛かな?お情けって受けるのは辛いけど、本当に辛い人は嘘でも救われるという部分はある、、っていう、なんだか、裏側から考えると厳しいんだけれど、それにすがらないでいられない人間の心理というか、弱さ、というか、一応福祉関係に所属する身なのでどきりとしたり、ちょっと感じたり考えさせられたりしたけど、
一言で言うと、エゴな男の悲しいお話です。

グレアム・グリーンは共産主義者というウィキペディアの記述もなかなか興味深いです。


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# by mgal2o4 | 2018-01-16 11:16 | 小説

孤高の狐狸庵先生

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ここに至るまで、皆さんも多くの踏み絵を踏んできたのではとおっしゃっていたが、
「身捨つる程の祖国はありや」で生きてきたわたしには、恥ずかしい話、踏み絵を踏んだと言える生き方をしてきたかしらん、と感じてしまった。

常識や価値観を180度転換させられたことに迷ったり悩んだりしたことなら3回経験はある。
まず、「潰瘍性大腸炎」
そして「父の死」
最近では「近親者の離婚」
だな。

病気、受難はやはり「神」を近くに感じますなぁ。
「主よ、なぜわたしだったのですか?」
って、信者でないけど思っていたもんなぁ。入院していた人はみんな思っていた。
そして、患者はみんな敬虔な信者のよう、巡回してくる先生はキリストだった。
結果を出してください、おねがいします!で、始まるけど、最後は感謝の気持ちになるんだよね、結果がどう転んでも。個人差あるかな?わたしの場合は、父の時もそうおもった。
「主よ、なぜ父なのですか」
離婚もねぇ、
なぜそうなってしまったのか、って。
意識してなかったけど、ちょっと滅入ってた。
同情していたのか、なんなのかよくわからない、ただ、自分では認めたくないことが起こり、それを認めなければならないことが起こるのを「踏絵」というなら。

狐狸庵先生のような戦中体験をされた方は、踏絵を押し付けられた方々であるはずなのだ。今までのことは間違っていたと認めろと。
父親は何も語らずに戦争中の大連でのできごとは持って行ってしまったけれど、踏んでしまったことを言いたくないのもわからないでもない。

あっ!
この本の内容は「踏絵」の話じゃないです!
狐狸庵先生の個人的な書評のようにもなっていて、ここに紹介されていた本を早速借りてみまして、一冊は読みました!(受難だった!)

この本は、グリアム・グリーン入門のような本です。
白状します。グリアム・グリーンっていう人を知らんかったー!


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# by mgal2o4 | 2018-01-16 10:53 | 講演/提言

「ふふふ」

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今年は年末年始に本を三冊借りてきました。
こういったエピソードをたくさん持っていらっしゃる人は羨ましいです。
自分にもそれに似たようなハプニングはあったけれど、井上さんのような出会いはなかったなぁと羨望しきりです。
いや、
そんなこたぁないか。

自分が選ぶ本が偏り気味ではあるけれど、自分と近い年齢かそれ以上の人が書いたものじゃないと、読みこなせないのが悩みです。。。
よくある筋とかも苦手、、
途中でやめてしまう。
例外は絵本とか童話くらい。

「問題の出し方」「万引き」じーんときた。
隣に「ふ」が4つある本もあったので、また借りようと思う。


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# by mgal2o4 | 2018-01-07 13:48 | 随筆エッセー